電脳ヨーグルト

ネガティブからポジティブへ

ふと死を意識して絶望してしまう時

身近な人が亡くなったとき、有名人の訃報をニュースで見たとき、マンガやアニメで好きなキャラが殺されたとき…

 

普段わたしたちは日常的に「死」というものに触れていますが、ことさら自分の死について意識することはありません。

 

親から日常的に暴力を振るわれている虐待児がツライという感覚をシャットダウンして次第に苦痛を感じなくなる解離という現象があります。

 

人間の生存本能で、人はあまりにも辛いことに対峙し続けた際に、自身の感覚を麻痺させて辛さを感じなくしてくれます。

 

この解離という現象が、自分の死に関していえば全人類に起こっているのではないかと私は考えています。

 

わたしたちは常に自分の死という恐怖と隣り合わせです。死という耐え難い恐怖にさらされ続けた結果私たちの感覚は麻痺して、普段は死の恐怖をあまり感じなくなります。

 

ですがふとした瞬間にこの麻痺が解けて、死を意識してしまう事があります。

 

ぼーっと部屋でくつろいでいる時に、  

 

「そういえば俺、いつか死ぬんだ…」

 

「死んだら、俺の意識とかも全て無くなっちゃうのか…」

 

「……………………………………」

 

みたいな感じで…

 

死という無常な現象

 

自己の完全な消滅

 

今色々と考えている自分の意思がこの世から永久に無くなってしまう時がいつかくる

 

あ、人生ってリセットのないゲームなんだ。

 

 

どうしようもないやるせなさに絶望を覚えてしまいます。

 

 

ナルホド、これが死の本質なのか、この死の絶望感を私たちは感覚を麻痺させてシャットダウンしていたのか。

 

 

感覚が麻痺している日常の状態では、別にいつ死んでもいいし、長く生きるつもりもないと思っているのですが、いざ麻痺が解けて死の本質に触れると死にたくないなぁと感じてしまいます…

 

 

月並みですが、個人的にはこの死の絶望感が生物にとって生きる原動力になっているのではないかと思うのです。

 

張り詰めた糸を切ったあとのような無常感

 

わたしたちが普段シャットダウンしているこの感覚を感じるのは辛いですが、自分の人生を見つめ直すきっかけにもなります。

 

 

リセットできないゲーム、一度きりの人生だからこそわたしたちの命は尊いものだということを死の絶望感が教えてくれます。

 

 

誰しもがふとした瞬間に意識してしまう死への絶望感、自分の無力さに打ちひしがれるのではなく、自分の人生を見つめ直すきっかけだと思って前向きに捉えてみれば、今よりも豊かな人生を歩めるようになるのではないでしょうか。

 

死について!―あらゆる年齢・職業の人たち63人が堰を切ったように語った。