死にたくないけど死にたいと思うとき
私たちが日々生活する中で本気で死にたい訳ではないけど死にたいと思うときって結構ないですか。私だけですかね。私は「死にたい」ってかなり汎用性の高い言葉だと思っていて口癖のように死にたい死にたいって言ってる気がします。
では具体的にどんな状況で死にたいと言うのかシチュエーション別にみていきましょう。
1. 辛くて苦しいとき
これは最もよく使われる「死にたい」ですね。例えば恋人に振られた、試験に落ちた、財布を落とした。など不幸なことがあったときのショックからついつい「死にたい」と言ってしまうパターンです。このパターンの「死にたい」は個人的には使用頻度低めです。
2. 無気力なとき
これは恐らくニートなどによくありがちなもので、生産性があることをやらなすぎて感情が失われた結果起きることが多いです。イントネーションは平坦に「あー死にてー」みたいな感じです。前にうつ状態が続いて部屋に籠っていたときはこの「死にたい」をよく使っていました。
3. 恥ずかしいとき
上の2つに比べまだ健全な「死にたい」です。例えば知り合いだと思って声かけた人が全くの他人だったり、1ヵ月半でTOEICでのスコア200点伸ばすとか宣言したくせに試験当日にすっぽかしてしまう。などですね。恥ずかしさのあまりこの世から消えてしまいたいという経験は多くの人が持っていると思います。
4. 幸せを感じたとき
幸せのあまり、「もう死んでもいい!」みたいに思った経験ってないですかね。私の場合だと例えば、うららかな春の陽気を感じながら散歩している時に「あー、死にてー」と思います。自分で書いててこの使いかたはちょっと異常だなと思いましたが、風呂に入ったときとかもついつい言ってしまいます。
ざっくり分類するとこんな感じになります。ちなみに私が最近言ったのは3番のパターンですね。
むしろ今回の記事に書きたかったのはそのことだけだったんですけど。
以下は完全に個人的な内容なので興味ない方は読まないで頂きたいです。
2か月ほど前にこのような記事を書きました。
ブログに宣言することで英語の勉強頑張れたらなと思って書いたのですが、春休み中は学校の方でウェブアプリ作る課外活動したり、その他はインターンに行ったりしていて結構忙しくそんなに英語の勉強できませんでした。まあ言い訳ですが・・・。
「まぁ200点は無理かもしれんけど、少しくらい上がればいいか。」ぐらいのノリでいたのですが、4/8の試験日に寝坊し起きたのが午前11時、その時にかなり「死にたい」状態になりましたね。
前に書いた大人のADHDの記事にある、
・ADHDを持つ人は、作業をするときに、その所要時間を低く見積もる傾向がある
・ADHDの人は請求書の支払いや掃除など日常的な作業を先延ばしにしてしまう傾向がある
・衝動性には多くの側面があり、言葉を衝動的に発したり、お金がないのに使いこんだり、結果を考えないで判断したりする
という特徴がモロに当てはまっていて苦笑せざるを得ないです。
もともと院試に向けて英語を勉強しようと思って始めたのですが、まだ2年以上あるのでそんなに焦らないでもいいかなと思いました。なのでこれからちょっとずつ英語力もつけていこうと思います。
言いたかった事が言えてすっきりしました。
どうか皆様これからも温かく見守ってください。