電脳ヨーグルト

ネガティブからポジティブへ

死にたい⇨じゃあ死ねばという対応について思うこと

うつ状態で思考力が低下しているので脈略がない文章になっているかもしれませんが悪しからず。

 

死にたいと洩らす人に対して

 

じゃあ死ねば?

 

という人に対してよく賛否が分かれる。

 

 

死にたいくらい精神的に追い詰められている人にわざわざ追い打ちを掛ける必要ないという意見がある一方で、本人が死を望んでいるなら死ねばいいじゃんという意見。

 

前者は自殺は良くないものという前提に立って死にたいと言った人を死から遠ざけようとしているのに対し、後者は自殺というものを肯定的なものとして捉えている。

 

 

死にたい、じゃあ死ねば?と言う人は得てして、どうせ死ぬ勇気もないくせに、本気で死にたい人は死にたいとか言わない、死にたいとか甘えだろというような下の句をつける。

 

 

 死にたい人間の立場からするとこの言葉はかなりキツイ。

 

ボディブローみたいにじわじわと効いてくる…

 

水曜日のダウンタウンでボディブローはじわじわ効いてこないといっていたけれど…

 

WHOが公表しているデータによれば、自殺者の実に約97%が、何らかの精神障害の診断がつく状態だったそうだ。

 

 

会社が倒産したから首をくくって借金を返そうみたいな理由で自殺をする人は3%に含まれる。

 

精神疾患の種類にもよるが、わりと共通する症状としてあげられるのが、抑うつ感からくるネガティブ思考、全身の倦怠感、思考力の低下などだと思う。

 

 

健康的で精神疾患とは無縁に暮らしてきた人にとっては、鬱病患者というのは病院に行って障がい者手帳を貰って障がい者年金を受け取っているような人をイメージすると思う。

 

しかしこれは個人的な考えだが、世の中にはもっと沢山精神疾患に陥っている人がいると思う。所詮は医者の問診で障がい者に認定されるか否か決まるから。障がい者にはなりたくないから手帳は貰わないというような人も一定数いるし、明らかに鬱病なのに鬱病という概念を知らずに過ごしているような人もいると思う。

 

 

それで冒頭の死にたいと洩らす人々

 

彼氏にフラれたー死にたーい!

 

うわぁ、プレゼンめちゃくちゃだった…死にてー

 

というような死にたいとは毛色が異なるやつ。

 

こういう羞恥心や後悔からくる死にたいという一言に対して、じゃあ死ねば?なんて言うのは野暮だから、一般的な感覚の持ち主ならさらっと笑って受け流したり、励ましたりすると思う。

 

 

しかしながら冒頭の辛さからくる死にたいという一言に関しては、じゃあ死ねばいいじゃんという返しがわりと肯定されている。

 

どうせ死ぬ勇気もないくせに、本気で死にたい人は死にたいとか言わない、死にたいとか甘えだろ…

 

自殺者の97%はなんらかの精神疾患を抱えている、ということは自殺を決行する前段階の死にたいと口に出す人もそれなりに精神疾患を抱えている可能性が高い。

 

とするとその死にたいという一言は甘えや構ってちゃんというよりも、精神疾患による抑うつ感やネガティブ思考、思考力の低下が原因だと考えたほうが妥当だ。

 

魔王に操られている状態の勇者が仲間に

「お、俺を殺してくれ〜!」

と言われて、

「お、わかった」サクッ

と勇者を殺したら物語が白けるのと同様に、精神疾患の影響で死にたくなっている人にじゃあ死ねば?と言うことはナンセンスなのだ。

 

 

しかしながら精神疾患とは無縁で生きてきた人からしたらこの辺の感覚が分からないから、死にたいと洩らす人との間に齟齬が生じる。

 

 

じゃあ結局、死にたい死にたいと言う人に対してどうすればいいのか?

 

これもまた個人的な意見になるが、一番いいのは、

スルー

だと思う。

 

それとテキトーにその人の話でも聞いてあげればとりあえずその場は丸く収まると思う。

 

間違ってもじゃあ死ねよ!甘えるな!などと追い討ちをかけてはいけない。

 

 

多かれ少なかれみんな精神的に不安定な部分はあると思う。

 

確かに死にたいなら死ねばいい、死んだほうが楽になれるというのも一つの選択肢としては有りだと思う。

 

アウシュビッツで地獄のような強制労働をするより死んだほうが楽だという場合もある。

 

精神疾患に耐えられないから死を選ぶというのも同様である。

 

それでもわざわざ苦しんでいる人、沼にハマっている人をさらに沈めるというのはナンセンスなのではないかというのが最終的な結論になる。