三成はつらいよ
以下は司馬遼太郎の小説「関ヶ原」にある一節で、石田光成と家臣の島左近との会話です。
「殿は」
と、左近は、光成のそのきらびやかな欠点について、こう指摘した。
「人間に期待しすぎるようですな。武家はこうあるべし、大名はこうあるべし、恩を受けたものはこうあるべし、などと期待するところが手厳しい。人間かくあるべしとの理想の像が、殿のあたまにくっきりと出来上がっている。殿はそれを自分にあてはめてゆかれるところ、尋常人(ただひと)とは思えぬほどに見事でござるが、さらにその網を他人にまでかぶせようとなされ、その網を嫌がったり、抜け出そうとしたりする者を、人非人(にんぴにん)として激しく攻撃あそばす」
「それがどうした」
と、光成は、左近にだけは温和に微笑する。
「ようござらんな」
左近は光成のそういうけんらんたる欠点と長所が好きでたまらないのだが、人心を収攬していくばあい、どうであろう。
みなさんは石田三成についてどのようなイメージを持っていますか?
おそらく多くの人は「冷淡」や「頑固で融通が利かない」といったイメージを抱いているかと思います。
ですがこれは光成の表面的な特徴を捉えただけに過ぎません。
島左近のセリフにあるように、光成は人間に期待しているのです。期待しているがゆえに自分の理想から外れる悪を憎むのです。より良い世の中にするためには人はどうあるべきか。これはしてはいけない。と自分の中で理想主義の王国を築き上げます。
自分の理想主義を人に押し付けるのも、世の中を良くするため、理想に反する人に厳しくするのも世の中を良くするため。
冷淡に見えて実は誰よりも世の中を良くする事を考えていたのが光成でした。
しかしなるほど、自分もこんなところがあるなと思いました。
ですが僕の場合は光成ほど自分の理想を全うすることもできてない自分に甘い人間なので、完全に劣化版光成です。
島左近もとい司馬先生の言葉を借りるなら、僕の場合「けんらんたる欠点と長所」ではなく「くすんだ欠点と短所」なのです。
高校からの友達にお前は理想が高すぎると言われましたが、どうやら光成のように自分に対して理想が高いだけではなく、他人に対しての理想も高いみたいです。
今までこのブログで気に入らないなと思う事や人について批判するような記事も書いてきましたし、普段の日常生活でも自分の理想から少しでも外れるとその人を糾弾したり避けたりしていました。
こんな生活をしてたら人がついてこないし、一人になるのも当然だなと・・・
自分の中に色々な理想があってそれが生きるのを難しくしている所でもあるのですが、具体例を一つ挙げるなら「お金というものを得るには相応の価値を提供しなければならない。」というものです。
残念ながら今の世の中は詐欺に近いことで儲かってしまうという状況があります。オレオレ詐欺のような明らかな詐欺ではなく、より巧妙で、騙されたことに本人も気づかない事もしばしばです。
上の僕の理想にあてはめると、お金に見合った価値を提供できないものは全て詐欺なのですが、これを声高に主張すると実際人は離れていくものです。暗いから。
たとえ道化でも、周囲を巻き込んで悪事をまるでお祭りのように華やかに演出できる人に、お金も人も集まってきます。
いつの世も好まれるのは暗い正義や正論ではなく、明るい嘘なのでしょう。
関ヶ原に学ぶ【完】